最近、ネット上で炎上している話題として、以下のような話がある。
1 西野亮廣と言う芸人がいる。
この人は、自分が構想しているエンタテインメントや関与しているプロジェクトを紹介するためのオンラインサロン(月額会費を徴収して会員になり、会員のみがネット上でコミュニケーションを取り合うことができるネット上の社交場)を運営しているとのことである。
会員になると、この人がいろいろと行っているプロジェクトを、一般の人より前に、知ることができるなどの特典があるそうだ。会員数は約7万人で、年商8億円を超えると言われている。
2 サロン内では、この人がプロデュースしたアニメ映画「えんとつ町のプペル」の前売りチケットを販売しているそうである。具体的にはサロンのメンバーは、「映画のシナリオ台本&前売りチケット」(以下「台本付きチケット」という。)を3000円で購入でき、且つこれを転売できる権利がもらえるそうだ。
3000円で取得した台本付きチケットを3500円で転売できれば、購入した人は500円儲けられるし、転売により映画を見る人も増えるはずでみんなWin-Winの関係だ・・・と言うことだそうである。
3 ところが、ある会員男性が失業保険の給付金を使って、転売目的でこの台本付きチケットを80セット購入したが,結局1枚も売れなかったらしい。このことがネット上で話題となり、炎上したというのだ。
そもそも、転売を勧めて購入させるというのであれば、転売価格でも買う価値があると判断する希望者が存在しうることが前提となるはずである。しかしこの台本付きチケットが欲しければ会員になればよいだろうし、単に映画を見るなら普通に映画館で購入すればよいのである。
この台本付きチケットについては、転売価格で買うだけの価値はあるとは思えない。したがって、このような転売可能という価値がないにもかかわらず、「転売すればwin-win」などという点を強調して台本付きチケットの購入を会員に勧めるというのであれば、やはり問題であろう。
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ただこの点にこれ以上踏み込むことはしない。むしろ、このようなチケットを転売目的で購入するような人たちに向かっていいたいことは以下の点であり、これが本稿の主題である。
私が言いたいのは、およそ買い物についてはそれに引き換える対価を支払うわけであるが、その点について「覚悟」を持つべきだということである。
すなわち、商品やサービスを購入するということは対価として金銭を支払うわけであるが、当然その支払う金銭に見合うと考えるからこそ、支払うのである。こんなことは当たり前だと思うだろう。だが、「支払う金銭に見合う」とはどういったことだろうか。
もちろん単に「欲しいから」という答えが普通だろう。しかしよく考えて欲しい。欲しいのはなぜか。それは買う行為による満足を得たいがためである。
ここでの満足というのは、必ずしも支払った金額と経済的に引き合うというだけでなく、自分の趣味や価値観に照らして、そのものを手に入れることが支払った金額に見合うということであろう。だから、「某アイドルと握手できる権利」のために数万円をかけるということがあっても本人が満足であるならば他人が文句をつけることではない。
しかし一方で、支払った金額に見合う価値があると判断するのは買い手である自分自身である。そうだとすれば、そのものを買うことにより得られる満足が何かを自分自身の中で確立しておく必要はあるだろう。
例えば、ある商品を転売目的で購入するのであれば、転売できる算段を立てておくか、あるいはそれがだめな場合は自分自身が背負い込むことで満足できるかを考えておくべきであろう。そういった転売目的でない場合、特に芸能人との握手券などは、これを入手することによって自分がどういった満足を得られるかを自覚することが求められよう。そういった判断を経て、そのものを手に入れるために見合った金銭を投げ出す以上、そこに「覚悟」が必要だと考えるのである。
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件の芸人(西野亮廣はもう芸人ではないのかもしれないが、私は信者やシンパではないので便宜上そう呼ぶ。)については、ほかに美術館建設資金の借入金をクラウドファンディングで調達した金銭で返済するというプロジェクトを立ち上げているそうである。
その際、例えばウン万円を出資してくれたあなたには、彼があなたの目を見て3回ありがとうとお辞儀してくれるということらしい。
それがウン万円を支払う対価として客観的に妥当かどうかはさておき、仮にそれが支払った金銭の追加として満足できるのかどうかを、自分の価値観に照らして考えた上で、それでもかまわないという「覚悟」が決まれば、出資すればよろしい。
すなわち、私が言いたいのは、自分の大切なお金を支払うことによりどのような満足が得られるのか、本当にそれを支払うことで満足できるのかという点を考えた上で、それでも支払ってかまわないというのであれば、その「覚悟」を持つべきだということである。
世の中には世間の常識ではおよそ無価値と思えるものでも、ある人にとってはありがたいものである場合もある。ただ、買い物をするに当たっては、果たして自分にとって価値あるものかどうかを考えた上で購入するという「覚悟」は、こういったご時世において必要なのではないだろうか。
逆に言えばそのような「覚悟」が決まらない場合にまで安易にそういった「商品」を購入すべきではない。たかが買い物に大げさな、という反論もあるかもしれない。しかし、詐欺商法や無価値な情報商材を安易に購入しないためにはこういう姿勢や考え方が役に立ちはしないだろうか。