物(モノ)のパブリシティ権と所有権による保護について
前のブログで言及したように、「ギャロップレーサー事件」で、最高裁は、パブリシティ権の法的性質を論じることなく
「モノのパブリシティ権」を明確に否定した。
その論理は、大要、
(1)各競争馬の名称に対する保護は、競走馬の所有権により保護されるわけではない。
(2)物の名称の使用などに関しては、商標法、著作権法、不正競争防止法などの法律による保護とは別に法令等の根拠もなく、
保護することはできない。
というものであった。
このうち、(1)の視点については、最高裁は、すでに「顔真卿事件(昭和59年1月20日)判決」において、所有権による権能が物(モノ)を
直接排他的に支配するにとどまることを明言していた。
「所有権は有体物をその客体とする権利であるから、美術の著作物の原作品に対する所有権は、その有体物の面に対する
排他的支配権能であるにとどまり、無体物である美術の著作物自体を直接排他的に支配する権能ではない」
「第三者が有体物としての美術の著作物の原作品に対する排他的支配権能をおかすことなく原作品の著作物の面を利用したとしても、
右行為は、原作品の所有権を侵害するものではないというべきである。」
そうであるにもかかわらず、いくつかの下級審においては、モノのパブリシティ価値の保護を肯定し、その論拠として所有権を持ち出している
かのような判決が見受けられた。
1 広告用ガス気球事件(東京地判S52.3.17)
この事件は、Xが所有する広告用ガス気球をカメラマンが無断で撮影した写真を用いて宣伝用ポスターに利用したYらの行為を不法行為で
あるとしてXが損害賠償請求したものであるが、この判決は、気球の映像を無断で利用した行為は、「他人の所有物を、如何なる
手段・方法であっても(無断で・・・筆者挿入)使用収益することが許されない」として、Yの利用行為が不法行為にあたりうるとした
(もっともYらには無断利用の予見可能性がないとして、不法行為の成立を認めなかった。)。
2 長尾鶏事件(高知地判S59.10.29)
この事件は、永年にわたり「長尾鶏」の品種改良に努めてこれを飼育してきたYがその飼育する「長尾鶏」を写真に撮影し、これを複製して
観光写真を作成して販売していたXに対して損害賠償請求訴訟を提起した後にこれを取り下げたところ、その訴訟提起が不法行為である
として、XからYに対して逆に損害賠償請求訴訟が提起されたものである。
裁判所は「本件長尾鶏を写真に撮ったうえ絵はがき等に複製し、他に販売することは、右長尾鶏所有者の権利の範囲内に属するものというべく、その所有者の承諾を得ることなくして右写真を複製して絵はがきにして他に販売する所為は、右所有権者の権利を侵害する」として所有者Yに対する不法行為の可能性を示し、Yの請求を棄却した。
この点、本件は直接的には先行するYからXに対する訴訟提起の違法性の有無の前提に過ぎず、濫用的か否かを判断する限度で上記の
ように言及したに過ぎないと解すべきであるから、所有権によるモノのパブリシティ権を根拠づけた判決として、積極的に位置づけることは
疑問ではある。
3 クルーザー事件(神戸地裁伊丹支部H3.11.28)
Xはその所有する大型サロンクルーザーをホテルのシンボルとしてホテル利用客の光用等に使用していたところ、YがXに無断で
本件クルーザーの写真を宣伝広告用として月刊雑誌に本件クルーザーの使用例として掲載させたことにより、Xが本件クルーザーのみならず
ホテルまで売りに出しているとの噂が世間に広まり、結局Xがホテルを廃業しなければならなくなった点について、Xの名誉等を毀損したとして
Yに対して損害賠償請求及び謝罪広告を求めた事案である。
本判決は、Xは「本件クルーザーの所有者として同艇の写真が第三者によって無断でその宣伝広告等に使用されることがない権利を有して
いる」と断じて、XのYに対する損害賠償請求を認めたが、その根拠については何らの分析も見あたらない。
これらの下級審裁判例は、きわめて不十分ではあるものの、所有権を背景に「モノのパブリシティ権」が認められるかのような物言いを
している。中にはさしたる根拠もなく、所有権を持ち出して安易に不法行為を認める(=モノのパブリシティ権を結果的に肯定することになる)
ものもある。
最高裁は、これらの裁判例等から来る混乱を止揚すべく、その論理を明確に否定しようとしたのではないかとも思われる。
従って、最高裁が「ギャロップレーサー事件」ではあえてパブリシティ権の法的性質論に踏み込まなかったのは、一つには
「モノのパブリシティ権」を根拠づけるために所有権を持ち出すべきではない、ということをあらためて強調したかったのではないだろうか。
・・・以上、内藤篤先生の著書を参考にさせていただき、「ギャロップレーサー事件」最高裁判決と従来の下級審の判決との関係を自分なりに
考察してみた。もっとも内容的には「だからなんなのだ」というレベルであって、覚え書き程度にしかならないのだが。
まあ、判例を読む機会を増やせたと言うことで、自分にとってよかったと思うことにする。