弁護士の懲戒事例・・・確かにこれは懲戒されるよなあ
「自由と正義」2012年9月号に、以下のような懲戒事例が掲載されていた。
「被懲戒者(注:弁護士)は、希死念慮を伴ううつ病の診断を受けていた高校生Aの自殺について、○○○○年○月○日、
Aの母親の代理人として、事実上、法律上の根拠がないことを容易に認識し得たにもかかわらず、高校の校長BがAに登校を強要したことが
未必の故意による殺人にあたるとして、Bを殺人罪で告訴した。
また、被懲戒者は、同日、記者会見を開き、Bを殺人罪で告訴した事実だけでなく、独自の見解に基づきBがあたかも殺人を
犯したかのように、Bの名誉と社会的信用を毀損する発言をした。」
(注)日時の点は諸般の事情を考慮して伏せ字とした。
・・・自殺が明らかなのに、校長がなんで殺人罪になるのか?
とか、
校長先生は、高校生が「死んでもかまわない」と思って登校を強要したのか?
とか、
記者会見までしたのか?
とか、
いくつかつっこみたい部分はあるが、同業者としては、少し考えてしまう事例である。
そもそも、こういう、子どもが自殺したというような場合の誰かに責任を追及したいというような相談を受けるのは正直つらい。
責任追及の根拠の妥当性はともかく、子どもを亡くした母親がどのような感情をぶつけてくるのか、またどこにぶつけたいかが、
容易に想像できるからである。
たとえそれが社会的に容認されない場合であろうとも。
この弁護士も、当初は母親から相談を受けた際に、親身になって聞いていたのではないか。それ自体は、決して非難されるべきではない。
ところが、継続して相談を受け、母親が生の感情をぶつけてきたときにこれを受け流すことができなくなったのかも知れない。
いいかえると、「母親の情念」に取り込まれたのかも知れない。
そしていつしか、母親の生の感情のやり場の問題と法的に許されるかどうかの判断とが混同されるようになったのではないだろうか。
登録番号を見る限り、相当キャリアを積んだ弁護士でもそう言った落とし穴に入ったのかも知れないと思うと、少し背中が薄ら寒くも感じて
しまうのである。
弁護士は、もちろん相談者や依頼者のために真剣に仕事に取り組むべきである。
しかし、代理人はあくまで代理人であって、本人ではないのだ。
法律家は、依頼者のために「法律上できること」を探求すべきであって、それを超えて何でもやってあげようなどと考えてはならない。
冷静な判断をなくしている依頼者を、正しい方向や解決に向けて、ときにはいさめてあげることも必要な場合があるのだ。
本件懲戒事例を見てあらためて、そう思う。